2014年2月11日火曜日

JFA茨城つくば3




















曇りのち晴れ。
日曜日のゲームが中止になるまで思いの外時間がかかった。
意図することは分かるが、どう考えても出来るような状況ではなかった。
1000平方米の除雪など、人力だけで迅速に出来る訳が無い。
開催に向けて動いていたが、結局は中止。
そんな状況でも、一縷の望みをかけてかやってくる人達がいたのには驚かされた。
その後、珍しくというか、コートが荒れることもないからだろうが、公式に雪原でのワンコの解放が認められた。





そして今回、当初の想定通りというか、とても車を動かせるような状態ではなかったので、苦渋の決断としてもう一泊するつもりでいた。
そういうアナウンスをしていたら、本当に多くの方から声を掛けて頂いた。
ハイエースの2WD、スタッドレスを履いていたとしても正直雪上走行などしたくない。
何せ、購入当初、借りている駐車場入り口の勾配のある砂利道がホイルスピンして上れなかった程リアに加重がかからないからだ。
その当時より荷物が積まれているとはいえ、抜けやすい車であることに変わりはない。
だからこそもう一泊を考えていたのだが、お昼頃帰宅の途についた筈の方が戻って来てくれて、幹線道路の状況が良いからロードサービスを呼ぶなら今の方が良いとの助言が頂けた。
その少し前に、泊まる決意に際しストーブの灯油まで分けて頂いた後の話だったが、この助言を機に天秤の針が帰宅へと一気に傾いた。
その頃から予報程には太陽が顔を出さなかったものの、気温の上昇で急速に雪が溶け始め、早々に帰宅の途についた方の轍部分の地面が見え始めたため、これは帰れるとの確信を持てた。
実際、車は雪原の孤島のような状態だったが、轍まで下り勾配であったことが幸いし、一度の軽いスタックのみで雪深い会場から一般道路へと脱出出来た。
その後も安全運転に徹したが、茎崎から裏通り経由で6号に辿り着いた頃、フロント足下あたりから木の枝でも引っ掛けたまま走行しているような異音が聞こてきた。
程なく信号で止まり、急いで降りて下を覗き込んでみると、フロントのアンダーパネルの後ろ側が外れ地面に接している状態になっていた。
車高を落としている関係で随所でダメージを受けてきたアンダーパネルだったが、車線の中央部分に陣を張っていた残雪か何かで止めを刺してしまったようだ。
幸いにも脱落を確認した信号のすぐ先にトヨタのディーラーがあり、緊急修理をお願い出来た。
プレートの一部が破損していたものの、補強のみで済んだのも幸いだった。
部品は無いと言われていただけに、プレート自体の交換が必要となっていたら、折角脱出出来たのに帰宅そのものが暗礁に乗り上げるところであった。
その後、常磐道は三郷まで通行止めで首都高も入り口封鎖が多く、東名下りも東京インターから川崎までが通行止めだったこともあり、下道のみで自宅へ向かった。
実際問題、交通量そのものが少なかったため道中はいたって快適。
修理に1時間程取られたが、13時半頃に茎崎を出て18時前には帰宅出来た。
もっとも、こんな思いは二度としたくない。
雪の憂いあらば二度と動かないと心に決めた。
何にしても、無謀な愚か者に手を差し伸べて下さった皆々様。
本当にありがとうございました。
名称敬称敢えて省略ご容赦下さい。